明暗真法流の成立と伝承 |
明暗真法流とは、一つの団体や流派を指すのではなく、「明暗寺伝曲の流れ」としての言葉であり、「明暗真法流曲」は、その流れを汲む曲群としてとらえられる。最大の特徴はフホウエヤ譜を用いていることである。
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明暗法系世代としては |
初代・虚竹禅師(永仁6年1298年没)〜十四世の淵月了源よりの記述は、大体資料等が残っている
(参考・相良保之氏監修の歴史年表)が、それまでの法系は伝説的な部分が多いと思われる。
その後の資料も極端に少なく、相良保之氏の研究により、その年表が完成されたのは、ほんの数年前である。
三十四世看主・自笑昨非・明治28年没
<明治23年「明暗教会が設立され規約を制定。勝浦正山が支部長、樋口對山が指南役となる> |
三十五世看主・樋口對山(大正3年没)となり、明暗寺伝曲として32曲を纏めた。(現看首は四十一世・児島抱庵) |
しかし、この樋口對山がまとめた32曲は名古屋の西園流から来た曲が十数曲含まれたもので、
渡邊鶴山以前からの流れ「明暗寺伝曲」(明暗真法流)とは異なる曲であり、ロツレチ譜で表記されている。
一方、勝浦正山は、尾崎真龍から受け継いだ明暗寺伝曲(40数曲)以外に他からも学び、『明暗真法流曲』として63曲に纏め、譜もフホウエヤ譜のまま受け継ぎ、かろうじて数名の方々に伝承された。
平成23年11月に音源・譜本と共に纏めた「明暗真法流本曲全集」が日本伝統文化振興財団より発売され、貴重な資料となっている。
歴史の流れに於いては、明暗真法流曲も明暗對山派曲も、それなりの年月を掛けて伝承されているので、どちらも尊重されなくてはならない。
現在では 明暗真法流曲を「旧明暗寺伝曲」とし、
樋口對山派曲を「明暗對山派曲」として研究家の間では区別されている。
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公益財団法人日本伝統文化振興財団発売・明暗真法流本曲全集よりの引用文 |
『京都の虚無僧寺・虚霊山明暗寺は、明治4年の太政官公布による普化宗の廃宗で、その長い歴史にピリオドを打った。以来、虚無僧は四散し、明暗寺伝曲は巷間に消えた。明暗真法流は、その京都明暗寺伝曲を継承する流派である。ところが現在では、古典尺八の世界でさえ明暗真法流の存在を知る人は少なく、真法流曲を伝承して吹き伝える尺八家も皆無に等しい。従って、真法流曲が公に演奏されることも稀で、今や真法流は廃絶に瀕した流派と言って過言ではなかった。
京都の産湯で生まれ育った明暗寺伝曲は、古典尺八の宝庫でのあるが、明暗真法流の廃絶は、即ち明暗寺伝曲の終焉を意味する。しかし幸いにも、明暗真法流曲は極めて少数の人達によって辛うじて吹き伝えられて来た。』 |